ゴジラ S.P <シンギュラポイント>
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「世の中には解けない謎が多くある。もっともそのほとんどは、考え続けていくうちにだんだん小さくなっていく。しかしここにごくごくまれに、考えれば考えるほど増え続けていく謎があり、たとえばそれはゴジラと呼ばれる。ここ数年、なんとかそれを抑え込もうとしてきたが、手記はここで途切れている。」
8話。
10話。
11話。
ゴジラと科学が切り離せないのは、ゴジラは科学から生まれた生物だから。 The KAIJU is back town.
13話。
円城塔 初代は「水爆にすみかを追われた」んですけどね。ゴジラとはなによりもまず、「わからないもの」ではないでしょうか? とにかくわからないものなので、いろいろ考える余地のある対象です。何かのメタファーは後からついてくるはずで……いくら考えてもわからないものです。ちょっと大きすぎるし、1匹しかいないし。1匹しかいない時点で、生物としてかなり込み入るんですね。
2017年10月時点でのSPプロット試案。(伏せ字化済
円城:結局、僕の手がRubyとPythonとProcessingを使い分けた方が早いってだけです。たとえば打ち合わせの時に「ディスプレイにログを流したいです」と言われたとしますよ。流せばいいじゃないか、という話ですが、そのためにはログの実体が要るじゃないですか。小説であれば「ログが流れていった」だけで済むところですが(笑) G執筆環境はわりと変遷があるのですか?それとも、過去に固めた設定をそのまま続けている感じですか?
円城:ずっとWordで書いていますね。そこはMicrosoftに支配されていて……結局戻っちゃうんです。編集さんも使っているデファクトスタンダードなのでしょうがないという側面と、縦書きでいろいろできるエディタだと、なんだかんだでWordになるという点です。エッセイは横書きでもいいんですけれど、小説は縦書きなんです。今回はシナリオですが、シナリオってフォーマットがありますよね。あれがね……イヤなんですけど。 G:イヤ(笑)
円城:シナリオって、字下げ、インデントがすごくイヤな形なんです。しゃべっている人のセリフは下げるけれどト書きは下げないとか、そういうのがあって、みんなWordですごく頑張って調整していると。「それ、インデントの調整に時間かからない?」と聞いたら「すごくかかります」って。それはやっていられないので、テキストベースで勝手にマークダウンしてコンパイルしてCSS書いて、ブラウザで開いてPDFにするという戦略に出ました。 G:おおー。
円城:必ずしもそのフォーマットにする必要はないらしいんですけれど、そうすると、会社の誰かがスクリプトにするとき成型することになると。誰かが会社のどこかでひたすらインデントを調整している。
G:なんと。
円城:でも、「縦書きPDFコピペできない問題」とかあるじゃないですか。それで、PDFとHTMLを一緒に送ったりするわけです。それは「大変めんどうくさい」と、ひんしゅくしか買わない(笑)
G:読む本はどうやって決めているんですか?なにか基準があるんでしょうか?
円城:気になったものを読むのと、あとは、本の中で引用されているものを読むのが好きなので、そういうつながりがあります。資料として読むものもありますけれど。
円城:人と戦う以上は、ある程度スケールは小さくないと困るんです。怪獣モノではあるけれど、戦う一方で、人間ドラマがないと13話はもたないので、それをやれるように、20代の男女が戦う相手として、とりあえず小さくなってもらうしかないんです。とにかく、13話で構成しながらもアニメーションであることを尊重するのが最大の課題でした。
円城:だから「人は食べないでください」「他の怪獣を振り回すのはいいけれど、食べるときはご一報ください」「初代以前の時代にゴジラはださないで欲しい」といった感じの話はありました。ゴジラは、いわば虎の子のアイドルですから「うちの子はそういったバラエティには出ません」みたいなことは当然あるんです。作る側からすると「首を2つにしていいですか?」「ゾンビ状態でもいいですか?」「羽はやして飛んでもいい?」とかは考えますが、やはりゴジラはオンリーワンであって欲しいと。それこそ、ゴジラを複数出していいんだったら、ゴジラの群れを出すことも考えます。世界の危機を描きたいなら多い方がいい。ゴジラが1匹しかいないなら、どこか広大なエリアに入れて柵でも作ってしまって「たまに熱線を吐く間欠泉のようなアトラクション」になるかもしれないし、それができないようにするには、『怪獣黙示録』(2017年・小説)みたいに超巨大化させることになる。 G:いろいろ伺っていると、円城さんはお話の拡張みたいなことを常々考えているのかなと思うのですが、何かそれは理由があるんですか?
円城:理由なくやりたいのが動機ではあるんですが、たとえば「もうみんな和歌は詠んでいない」ということです。実証的な研究があるわけではないですが、筆記用具が変わることで小説も変わってきたんだと思うんです。最初、言葉というのは「ウソを書いてはいけません」だったので、小説が誕生するのって意外と遅いんです。でも印刷とかがはじまると「ダメ」と止めることができなくなって広がり、今やPCやケータイを使って誰でも書けるようになると、書かれることはウソだらけみたいなことになっている。情報環境によって書かれるものが変わり、受け入れられる物語も変わっていくのではないかというところにずっと興味があるんです。